雑誌ナナメ読み:日産は本当に動き出したのか?

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最近、とりわけB5判系の自動車雑誌を中心に日産の特集ページがよく見られる。とくに「ジューク」の後継として「キックス」が輸入されるという話が出てからは、秋にモデルチェンジ予定の新型「ノート」と合わせ、今年の日産は注目!なんて記事だ。

まあ、これまで日本市場を軽視した日産へは、珍しく否定的な記事を書いてきた自動車媒体だけど、ゴーン氏の一件(事件)に加え、今回のコロナ禍という非常事態ともなれば、もうそろそろ応援方向へ舵を切ろうかという機運なのかと。

そこに来て、5月28日に行われたオンラインでの決算会見では、「NISSAN NEXT」と称する当面4カ年の計画の発表に合わせ、スクリーンに新型車と思われるシルエット群が映し出された。そこに「フェアレディZ」らしきクルマがあったものだから、メディアはもちろんネットでも騒然となったんである。

で、こいつを記事にしなければ!ということで日産特集は勢いを増し、ある雑誌では「動き出した日産」なんて見出しで巻頭特集を組んだ。もちろん、そこには「これが次期Zだ!」という期待たっぷりの予想イラストが描かれていたわけだけど、しかし、その他にはこれといったニュースが見当たらない。

そこでもう一度先のシルエット群を見てみれば、キックスとZの他にはキャッシュカイ、ローグ、パスファインダーにフロンティアといった、ミドルからラージクラスのSUVばかりで、趣が違うのはノートとEVのアリアくらいと、かなり偏ったラインアップなんである。

 

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当の会見では、これを「選択と集中」と表現したらしい。もっともらしい言い方だけど、この流行り言葉はすでに「金がないので商品と人をカットする」場合に経営者が使う体のいい常套句と認識されており、オイオイ、いまそれを言うかと。

ゴーン氏の事件があったとき、自動車媒体の多くでは「これで日本人がトップに就けば、日産は国内向けに魅力的な商品を出すだろう」という趣旨の記事が踊っていた。外国人経営者が去れば「往年の日産」が帰ってくるなど、ずいぶんお気楽なことを書くなあと思っていたけれど、やはり案の定である。

ズラッと並んだシルエットにZらしきクルマがあったからといって、だから自動車メディアが書くべきは「僕らのZが帰ってくる!」「次期Zは原点回帰か?」なんてことじゃなく、この期に及んで日本には4年落ちの新興国向けSUVの導入か?というツッコミの筈。

なぜって、お金がない状況はいまと同じでも、件のゴーン氏によるV字回復時には「往年の日産」などではなく、3代目マーチや2代目キューブ、ティーダ、シルフィにティアナ、フーガに33型Zなど、優れたセンスと知恵でまったく新しい時代を感じさせるラインナップを展開したじゃないか。

一連の商品は決して内向きの商品ではなく、国内はもとより海外での評判も上々だった。「選択と集中」は容易で分かりやすいけれど、もう少し頑張って魅力あるクルマの可能性を考えてもいいんじゃないかと思うんである。

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雑誌ナナメ読み:クルマの魅力はどこにある?

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「STAY HOME」での自動車雑誌ナナメ読み。緊急事態宣言の一部解除もあったし、一旦最後として今回はメチャメチャ軽いノリで。

B誌での巻末特集は「定番人気モデルの歴代BEST & WORST」。売れてる車種について、歴代の中での一番とビリを評論家が決めるというまさにお気楽企画だ。十人十色とはいえ、同じクルマ好き、クルマ関係者であればそう意見は違わないだろうと思うけれど、そうでもないところが面白い。

まずはK氏によるトヨタ・ヴィッツ。ベストが最新のヤリスというのは、WRCなどレース好きの氏を考えればまあ順当だろう。HVの好燃費もお気に入りとか。しかし、ワーストが初代っていうのがちょっと。

氏によれば、ヴィッツは過去3代とも数多く売れたけれど、クルマとしてこれといった特徴はなかったと。飛び抜けた魅力を持っていなかった歴代で、まあ初代がワーストだというわけだ。

いやいや、スターレットなど従前の中途半端なトヨタのコンパクトカー作りを一新させたのがその初代だ。欧州スタジオによるスタイルはいまでも通用する傑作だし、パッケージやインテリアも秀逸で、これがトヨタ車?と思わせたほど。そりゃあモータースポーツでの活躍はなかったけれど、だから凡庸とするその感性には驚くばかり。

お次はホンダ・フィット。まずベストが先代の3代目というのにも驚いたけど、ヴィッツ同様ワーストが初代というのに再び驚愕。先代はガソリン車の燃費のよさと、やはり1.5リッターのスポーツグレードがよかったそう。逆に、新型はスポーツグレードがないのでホンダらしくないと、先日の某氏と同じ感覚だ。

そういう意味で、とりわけ初代には何の特徴もないということかと。しかし、これまたロゴなどという貧相なモデルから、まったく次元の異なるコンパクトカーを打ち出したのが初代なんである。広大な室内空間とスマートなスタイルを両立させた発想こそホンダらしさじゃ?

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日産スカイラインを担当したのはK氏。ベストを8代目のR32型とした気持ちは分かるけれど、ワーストが11代目のV35というはいかがなものか。しかも、その理由がメカニズムを変え、丸形テールランプを止めることでスカイラインを窮地に追いやったというからスゴイ。

スカイラインを、ある種の固定概念により迷路に追い込んでどうにも身動きが取れなくなったのはR33、34であって、V35はその呪縛から解き放った「真っ当なクルマ」だった筈。丸形テールがどうのこうのなんて、時代に取り残された一部のファンみたいなことをプロが書くとは驚きだ。

最後はM氏によるスバル・フォレスター。ベストは現行の5代目で、やっぱり初代がワーストというのは先のヴィッツと似た話だ。レーサーでもあるM氏が絶対的な性能を重視するのは分かるけれど、それなら最新技術の現行モデルが常にいちばんなのは当たり前だろう。

けれども、クルマはそういう単純な性能値だけで語れないからこそ面白い存在なのでは? その意味で、レガシィ同様SUV的なパッケージと走りのよさを両立させた初代の功績は大きい筈。もちろん、シンプルなスタイルは、悪化を続けるいまのスバルデザインとは大違いでもあるし。

まあ、そもそもこの記事自体が軽口な感じなんだけど、それにしてもビックリ判定の何と多いことか。これがファン投票なら納得もするけれど、何たってプロの評論家の裁定なんである。これまた先日書いたとおり、書き手としてのアップデートが行われていないということなんだと思う。

あ、お前の判定こそおかしいだろ、という声については特段反論しないので。

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雑誌ナナメ読み:コンパクトセダンも欧州がイチバン?

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連休は終わったけれど、引き続き「STAY HOME」ということで、またしても自動車雑誌ナナメ読みを。

今回は、E誌でのコンパクト・カー特集。その中で「偉大なる普通のクルマ」の比較試乗として取り上げられたのが、メルセデス・ベンツAクラスセダンと、アウディのA3セダン。日本的にこの2台をコンパクトというのは若干引っかかるけど、それぞれCクラス、A4の下なのでそうなるのかなと。

すでに本国では新型が発表されているA3セダンだけど、7年を経た現行モデルでも高いクオリティと、落ち着いた乗り心地が評価され、一方、最新のAクラスセダンも「これならCは要らない?」という出来のよさだそう。比較的素朴なA3と派手目のAクラス、という表現もされている。

国内のセダン不況と言われる中、欧州勢はコンスタントに売れているという話は、これまでは先のCクラスであったりA4であったり、あるいはBMWの3シリーズあたりを指していたわけだけど、ここに来てその下にもセダンが用意されつつある。BMWも2シリーズのグランクーペが登場したばかりだし。

つまり、「欧州セダンが売れると言っても大きな高級タイプだからな」みたいな話が、サイズ感としては日本での使用も現実的なところに拡大してきたと。もちろん、欧州勢としては中国市場を大きく意識した企画なんだろうけど、国際商品として何ら手抜きはない。

いやいや、いくら日本にいいセダンがないといっても、さすがにCセグ以下ともなればと思って見渡せば、あれ?と。

たとえば、新しいプラットホームを引っ提げて登場したカローラは、3ナンバーに拡幅して真っ向勝負と言いたいところだけど、それこぞAクラスやA3あたりと比べれば何と子供っぽいことか。誌面ではA3との歴然とした作りの差を指摘されているけど、まず存在自体が幼い。

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もはや放置状態の日産シルフィはカタチすら思い出せないし、子供っぽさではカローラを遙かに凌ぐ、ロボットアニメ風のホンダシビックなどは論外かと。

例外というか、そんな中で孤軍奮闘しているのがマツダ3だろう。チャラチャラ・ガチャガチャせず、ちゃんとした大人のセダンを作ろうという意志が明快に伺われ、少なくとも開発姿勢は欧州メーカーに引けをとっていない。

ただ、売れているのかといえば残念ながらそうでもない様子。まず、あまりに個性的なファストバックの陰に隠れてしまったこと、逆に言えばセダンとしてこれに相対する魅力が感じられないこと。もうひとつは、いまのマツダの懸念でもある動力源の訴求力不足も考えられる。

もちろん、流行のSUVに目が向くことがおかしいワケじゃない。けれども、現実的なクラスに送り込まれた出来のいい2台をあらためて見ると、せめて選択肢の一つとしてこれに対応でき得るセダンが国内に欲しいと思う。かつて、初代セルシオが欧州勢を震撼させたように、本気を出せばできるわけだし。

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雑誌ナナメ読み:新型ハスラーのデザインを再考する?

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「STAY HOME WEEK」での自動車雑誌ナナメ読み。緊急事態宣言は延期になったけど、暦の上では連休もあっという間に終わりだ。

ナナメ読み3回目は、M誌の好評企画である新車の総括記事。今月号は新型ハスラーを取り上げているんだけど、囲み記事でのデザイン総合評価が随分と低いのに目が止まった。

新型ハスラーは、何しろ初代が大ヒット作だったこともあり各誌で相応に取り上げられていた。その中では、よりSUV色を高めたエクステリアや大胆なインテリアについて一様に評価が高く、デザインをよく取り上げる評論家氏なども絶賛な感じだった。

M誌でのデザインコンサルタントによる評価は、ジムニーという例外的に息の長いモデルに、ハスラーのような”通常モデル”がエクステリアを合わせ込むのは、いかに同じメーカーとは言え禁じ手である。またインテリアでは、インパネ上下の横バーと干渉し、しかもエクステリアとの一貫性のない例の円形表現をNGとした。

過日のデザイナー・インタビューでは、新型は当初、初代に引きずられることで行き詰まり、あらためてアウトドア市場を徹底リサーチ。その結果、仕切り直しで新しいキーワードを再設定、このSUVタッチの強いスタイルにたどり着いたと聞いた。

ただ、当然同じ会社の商品として好評のジムニーを横目に見ていたそうだから、デザインコンサルタント氏の指摘は的外れではなさそうだ。4年程度のサイクルの通常モデルを、特殊な車種に寄せてしまう「落とし穴」というのは、なるほどと思う。

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個人的には、以前ここに書いたとおり、いちいち新しいコンセプトやキーワードを見つけて来ないとカタチにならなのか?という違和感は持っていた。どうして初代の「遊び」や「軽さ」を継承して、なおかつ新鮮な提案が出てこないのかという。

それは件の評価と異なる話だけど、なぜボディをほぼ垂直面の箱に持っていってしまったのか?という疑問に対し、個人的にはすんなり腑に落ちた感じだ。もちろん、それでもしっかりハスラーに見えるようにまとめた、スズキのデザイナーの力は評価するとして。

インテリアは斬新さに感心しつつも、エクステリアとの関連性に乏しいというのは同意見。ただ、インパネ上下のバー形状との関係が破綻しているというのはまったく気が付かなかった。その点はさすがプロのコンサルタントだなあと。

評論家も含め、世間の評価が一様に高い中、これだけズバリとダメ出しをするのは、デザインに関する記事では結構珍しいことかもしれない。もともとこのページ自体が「業界裏話」的な趣向とはいえ、だ。そうであるなら、ライバルメーカーのデザイナーはこの新しいハスラーをどう見ているのか、実に気になるんである。

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雑誌ナナメ読み:女子なインプレッションって?

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「STAY HOME WEEK」での自動車雑誌ナナメ読み。引き続きゆったりとページをめくる贅沢な時間だ。

で、またしても面白い記事が目に飛び込んできたので少々。前回は、新型フィットのインテリアを「女性仕様車みたいでNG」と言い切ってしまう、やんちゃな男子の話だったけれど、今回はその逆の展開である。

それは、C誌での女性ライターI氏によるボルボS60のインプレッション。最初に言っておくと、試乗記自体に何か間違ったことが書いてあるとか、内容が全然足りないとか、そういったことはまったくない。リポートするべきことはキッチリ押さえてある。

面白いのは、インプレッションの前提なんである。何と、若い女性ライターとしてI氏がセダンに対して抱くイメージはこうらしいのだ。

・セダンと聞くと「おじさん」をイメージする
・なので、セダンは自分とは縁遠いクルマ
・なかなか女性が「乗りたい」と思えるセダンがない

まあ、前回とは逆の意味での紋切り型だ。若い女子はセダンなんて興味ないもん、という。いやま、スゴイなあと思う。

以前から書いているとおり、クルマの楽しみ方はもちろん、クルマ作りについても、僕は女性へ大きな可能性を抱いている。いつまでも改造少年のままのドリフト君や、あるいはポルシェ命の濃厚なエンスーな男子に比べ、サクッとミニやフィアット500、あるいは等身大の軽を乗りこなす女性の何と大人っぽいことか。

クルマ作りでも、従来の固定概念的な男目線ではなく、エクステリアでもインテリアでも、もっと女性の感性を生かしたセンスのいい開発があってもいいだろうと。昨年CMFデザイナーの連載を書いたのも、実はそのあたりに理由があってのことだった。

そうした大人な女性ユーザーの存在や、女性開発スタッフの頑張りの一方、ではメディア側はどうなのか? 近年女性の書き手が増える中、もちろんそれを十把一絡げにするつもりは毛頭ない。実際活動の内容は人それぞれだ。

ただ、その中には今回のように「そういう女子の出し方はいかがなものか?」というケースがある。「セダンはおじさん」なんて次元の低い表現を、それこそ自分が女子であることを過剰に意識して書いてしまうのは実に残念だ。

「理屈じゃなく感性」はアリだと思うけど、そうであればその感性は磨かれたものでなくてはイケナイ。いちユーザーではなく、メディア側の人間であればなおのことでだ。そこに欠落があると、女性ライターとして要らぬ失望を買うことになると思うんである。

 

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雑誌ナナメ読み:「クルマ好き」ってどんな人?



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「STAY HOME WEEK」ということで、自動車雑誌を数冊買い込んでナナメ読みをしてみる。考えてみれば、何とも贅沢な時間だ。

で、久々にじっくり記事を読んでいると面白い内容に出くわす。いま、各雑誌では「トヨタ・ヤリス VS ホンダ・フィット」的な特集が展開されている。発表時期が重なった同クラスのクルマであり、性格付けが異なる2台ということもあって、特集としてはうってつけだ。

話としては、おおよそオールマイティなフィットに対し、走りに振ったヤリスということになっているんだけど、某B誌でのふたりの評論家による比較記事に「おや?」という内容が見つかった。

M氏とN氏による比較試乗。M氏は先のような比較的真っ当な結論に落ち着いているんだけど、N氏は走りの楽しいヤリスを推し、逆方向のフィットに渋い評価を下した。べつにそれ自体はいいんだけど、そのNG点がすごい。

・スタイリングは好みの問題だが自分は嫌い。実用的フォルムはクルマ好きに響かない
・タイプRの話がないのはダメ
・スマホ的なインパネや2本スポークのステアリング、女性仕様のような内装などは、F1をやっているメーカーとは思えない
・女性や初心者に優しいアクセルレスポンスはクルマ好きにピンと来ない

実に分かりやすいというか、ある意味とても正直だ。それだけに読んでいて辛いなあ、と。

スタイリングについては、もちろん「好き嫌い」の前にまずデザインとしての質、クオリティの問題がある。だから、ユーザーが好き嫌いを語るのはいいけれど、プロがそれじゃダメだ。しかも「クルマ好きに響かない」って、一体どこの誰を指しているんだろう。

タイプR云々は、そういう「ホンダ=スポーティ」という短絡的な発想や発言が、ここ数年のホンダをいかに混迷させたかを自覚するべきかと。これまた走り大好きのユーザーはともかく、評論家が書いてしまうのはどうなんだろう。

さらに、新型フィットのインテリアが「女性仕様車」みたいという発想は、どうにも時代錯誤的というか、自分の感性が小学校の3年生くらで止まってしまったと告白しているようなものだ。男子はカッチョイイのが好き、みたいな。

ステアリングについては、実は少し前に別の有名評論家も「新型フィットは売れない。なぜならステアリングが2本スポークだから」と信じられないことを書いていた。ま、ある世代以上にとっては安物の象徴だというのは分かるけど、肝心なのはインテリア全体の出来であって、2本か否かが問題じゃない。

この件、先日フィットの取材の際にたまたまデザイナー氏と話題になったのだけど、彼は失笑を隠せない様子だった。実は2本の方が日常使いやすい場面もあるという点はともかく、いまどきそんなことを言う人がいるんですね、と。

ジェントルでスムーズなアクセルレスポンスにピンとこない「クルマ好き」というのもスゴイ。これまた一体どこの誰のことなのか? 先のスタイルの件も含め、クルマ好きの定義の狭さが尋常じゃない。

要は、評論家としての能力がアップデートされていないと。クルマの進化は要求するのに、自分自身が更新されていない。「いつまでもクルマ好きの少年の心を」と言えば聞こえはいいけれど、作り手から失笑を買うようなことではダメなんである。 

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雑誌ナナメ読み:COTYの辞退は残念なのか?

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とても空しいのはどうしてなんだろう?

今年の日本カー・オブ・ザ・イヤーは、スズキに次いで、フォレスターが候補になっていたスバルも辞退となった。ご存じ、完成検査の不正発覚を中心に、もしかしたら大規模リコールも後押しをしてのことだ。

雑誌やWebサイトにはこれについていろいろと書かれているけど、どうも違和感が拭えないんである。

まず、そもそも完成検査自体が無意味なので「そんなに気にすることはない」的な話。B5判系雑誌などでは、不正自体はイケナイけれど、だいたい旧態依然とした検査をメーカーに無理強いしている国交省が元凶だとし、半ば訴え口調で突撃取材などをしていたりする。

で、メーカーは「この程度の」不正で賞を辞退する必要はないのか、やっぱり辞退が妥当なのか? 不正はNGだけど、クルマそのものに罪はないのだから賞は受けるべきなのか?

いや、不正の議論自体に違和感があるわけじゃない。そうじゃなくて、その不正案件に絡めて是非を問うほど、そもそもCOTYなる賞に価値があるのか?という疑問なんである。

昨年もここで書いたとおり、各メーカー均等に「10ベストカー」なんてものを平気で選ぶようなフザけた賞だ。そうして権威を自ら投げ棄てた賞と、不正案件が同列で扱われることに大きな違和感を持つ。ハッキリ言って、賞を受けるか否かなんてどうでもいいんである。

もうひとつは「辞退」って何だ?と。

COTYは自動車メディアが中心となり、そこに評論家などが乗っかった賞。つまり、メーカーにとっては外部イベントであって、べつに自工会が運営しいるわけじゃない。あえて言えば、周りが勝手に騒いでいるだけの催しなんである。

だから、COTYが賞をあげたいなら勝手に選べばいいわけだ。メーカーがトロフィを受け取ろうが拒否しようが、自分たちがその価値を賞賛するならメディアの立場としてそれを発信すればいいだろう。

そこで「辞退」なんて言っちゃうのは、つまり実質的にはメーカー自らエントリーしているとバラしているようなものだ。今年はこのクルマを候補としてヨロシク、と。

かてて加えて、選考委員が「辞退してしまって残念だ」なんて発言するのは、年に一度のお祭りを奢りで楽しもうと思ったのに、そのメシのタネが逃げちゃったという、そんなズブズブ具合を想像させるようなもの。

メディアという立場を考えれば、不正案件が収まらない中では開催できないと、自ら賞の有無や是非を表明するのが本来の姿だろう。そういう姿勢が賞の権威を上げ、業界の活性化につながることに、いい加減気づくべきだと思う。

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雑誌ナナメ読み:マツダはやり過ぎなのか?

Photoうーん、ちょっと情けないなあと思うんである。

雑誌『ベストカー』の連載「エンスー解放戦線」で、東京モーターショー、マツダ出展のコンセプトカー「魁」がお題になっていた。

論調としてはマツダのデザインはやり過ぎ、プロダクトというよりアートになっている、考え方がもはや宗教的、といったもの。この「魁」についても、量販コンパクトにこんな表現はそぐわないと。

言いたいことはよくわかる。あまりに同じような表現が続く「魂動」に不安を感じていたところ、第2章を象徴する「VISION COUPE」はさらに突き詰めた表現となり、「日本人の美学だ、光のコントロールだ」などとデザイナーが語るのはもはや洗脳的。

僕も最近のマツダ車を取材していて、チーフデザイナー達があまりに同じようなことを話すのに驚いたし、誰に会ってもみんな似たような黒い服を着て同じような髪型?をしているのにオヤ、と思ったりしているけれど(笑)

けれども、だ。あえて言うけれど、たかだか「これしきのこと」じゃないか。

魂動というネーミングこそ派手だけど、わずかシェア数パーセントの中堅メーカーが、少ないラインナップのイメージを統一しようと考え、それを着実に進行させているだけだ。見方を変えれば、他のメーカーが頓珍漢な仕事している中で、その着実さが目立っているだけだろう。

そもそも、日本車の歴史の中で一向に成長しないデザインに対し、心ある評論家は「メーカーの一貫性を示せ」「モデルチェンジの度にコロコロ変えるな」とずっと訴えて来たじゃないか。

さらに同連載では、新規展開の「黒い販売店」は敷居が高くて入りにくいなんて話もあったけれど、べつにブランド品を着てなきゃ入れないとか、ゴールドカードを持ってないと商談しないってわけじゃない。

これだって、国産車ディーラーはセンスのかけらもないノボリやポスターが残念なんて話がずっとあったわけだし、あの程度の「コーディネイト」にたじろぐのは、逆に客側が情けないという話だろう。

もちろん、すべてのメーカーが似たようなことを言い始めたら「気持ち悪い」とは思うけれど、たかだか1社の話だ。しかも、特段珍しいことをやっているワケでもない。

ごく個人的な話をすれば、僕はいまのマツダデザインはあまりピンと来ない。好みじゃないと言ってもいい。けれども、デザインに対する姿勢は本来あるべき姿だし、仕事の内容も十分評価できるものだ。

そんな「真っ当な」仕事を数年継続したくらいでアレコレ言うのは、ちょっと残念に思える。あまりにきれいな水より濁り水の方が心地よい、なんて文句はたしかに言いやすいんだけど。

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雑誌ナナメ読み:どうなる、東京モーターショー

Photoもうそろそろ、腹をくくった方がいいような気がするんである。

今年の東京モーターショー、ここ数回と同様アメリカとイタリア勢が不参加なんだけど、さらに、あのミニまでが辞退したみたいだ。

これはマズイと、評論家の岡崎氏は雑誌のコラムで、より東京らしさ、日本らしさをアピールして挽回するべきと書いている。具体的には自動運転などの高い技術の披露で、ここは国をあげての取り組みが必要だと。

まあ、技術立国としては分かりやすい話だけど、それが東京ショーを復活させる切り札だとはちょっと思えない。だいたい、自動運転技術などは特段日本がリードしているわけじゃないし、いまどき先進国間で大きな差ができるようなものじゃない。

国際自動車ショーの盛況如何は、当たり前だけど注目するべきクルマがどれだけ出品されるかだ。ワールドプレミアを筆頭に、世界中からどれだけ充実したクルマが持ち込まれるか。

その点、日本市場は輸入車シェアがせいぜい1割という特殊な状況。もちろん、この状況を、たとえば国や自工会が何とかしようなんて発想はこれっぽちもない。自動車先進国として、輸入車は3割くらいが健康的な市場だ、などとは考えない。安くて便利な日本車が売れればそれでいい。

であれば外国メーカーが辞退するのは仕方がない、というか受け入れるしかない。1割の大半を占めるドイツプレミアが来てくれるだけで恩の字だ。

さらに、当の日本勢もまた、重要な車種の発表を外国ショーに移行しているんである。それこそ東京じゃなくて「あっちの方が影響力がある」という理由でもって。そういう流れを自ら作っている。

外国車は売れなくていい、日本車も外で見せる、となれば、国際ショーとして傾いていくのは当たり前の話だろう。それで盛り上がれというのは虫がよすぎる。

もちろん、技術に特化したアピールなどは本来脇道なのであって、それはパシフィコ横浜でのイベントでもう十分なんである。

そんな現状を踏まえれば、東京は国際ショーをあきらめるしかないと思う。いや、実際にはすでにそういう状況なんだけど、それを受け入れると。なまじ、国際ショーを気取るから「ほつれ」が目立つわけだし。

ということで、もうローカルショーとして腹をくくり、いっそのこと好調なオートサロンと統合させてもらえばいいんじゃないかと思う。「かわいい」と「ヤンキー」が交差するイベントはまさに東京、日本そものもだし、軽や内向きなワールドプレミアにも違和感がなくなるし。

変な話、東京が国際ショーでなくなるのも、あるいはオートサロンと一緒になるのも、両主催者のプライドと困惑を除けば、ユーザーにとって特段困ることはないんじゃないかと思う。

もしかしたら、それが外国勢の参加への近道だったりするかもしれないし。

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雑誌ナナメ読み:売れないけど大好き?

4170623_005hもどかしいというか、残念な感じだなあと思う。

一旦途絶えていた国内でのシビックブランドが、この夏に復活する。ホンダからの正式な発表に、とりわけコンビニ系雑誌を中心に話題沸騰なんである。

けれども、評論家の国沢氏が「このシビックは売れない」発言をしたあたりから、雑誌記事も同様の曇り具合で、北米指向のボディに対し若干の疑問が挟まれたりする。

たしかに、公開された10代目はまず寸法的にデカく、写真で見ればドヨンとひょろ長いボディが実に酷いことになっている。いや、シビックとしてどうか?という以前の問題で、これがインテグラでもアコードでも同じことだ。

じゃあ、なんで話題沸騰なのかといえば、そこにタイプRがあるからだろう。評論家も読者も大好きなホンダのトップ・スポーツグレード。だから、ダメだと言いつつやっぱり黙ってられないと。それが何とも残念な感じだ。

そうして、いよいよ試乗会ともなると「いいところ」を次々に挙げ始める。日頃から”持ち上げ系”の評論家の中には、「これはスマッシュヒットになるかも」などと言い始める始末で。

一方、「いいクルマができたので、国内でも売りたいと思った」というホンダのコメントがまた残念。シビックが肥大化し、実質フィットに取って代わってしまった状況は何ひとつ変わっていないのに、さらに大きくなって大味な新型を売ろうという神経がすごい。

「ヒットはしないでしょうが、それなりの数は売れるとは思います」というコメントは、どこか不振のF1スタッフによる「確実に進歩しています」的な空虚感に溢れているんである。ああ、ついにホンダも大企業病か?という。

メディアや評論家は、疑問があるならしっかり書く。売るべきでないと思うならちゃんと理由を添えて意志表示する。メーカーが頓珍漢なのも残念だけど、書き手側のグズグズ感が加速しているのはもっと空しい。

少なくとも今回のシビックに限って言えば、そんなことをやっても、読者も含めて誰ひとり得るものがないことに、どうして気がつかないのかと思う。

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