雑誌ナナメ読み:タイトル先行?

Navi一体、誰に向けた誌面なのかなあと思う。

雑誌『NAVICARS』、先月売りの特集は「トヨタが好きで悪いか!」

クルマ好きにとっての「トヨタは眼中なし」という風潮を考えれば、まあ目を引くタイトルではある。

そのトヨタについて、どんな切り口が展開されるのかと編集長の前口上を見れば、章男社長の「もっといいクルマ」なんて掛け声や、C-HRだのプリウスPHVのチャレンジングなデザインと、昨今の「変化の兆し」を掲げている感じだ。C-HR云々で変化を語れるのか?という疑問はともかく、取りあえずいまのトヨタを絡めた話だと思うじゃないか。

ところが、なぜかそうはなっていない。

冒頭のトヨタ車ランキングアンケートでは、ハチロクだのセリカだのMR2だの、もはや消えたクルマばかりが登場し、続くオーナー取材でも同じくハチロクに2000GT、ダルマセリカと旧車のオンパレード。2T-Gエンジンはよかったね、なんて記事もあったりする。

いやいや、さらに「あの時トヨタは若かった」というカタログプレビューも70~90年代特集だし、レアカー探しもまた懐かし車ばかり。そうして冗談じゃなく、トヨタ博物館の紹介でもって特集は終わる。

かろうじて「いま」を語ったのは、例のWRC復帰とミライの簡単な紹介くらいなんである。

つまり、昔はこんな面白いクルマがあった。いや、いまでも私はこんなクルマ乗ってますよと、ただそれだけの内容が楽しげに載っている。ここには章男社長の言葉の真意もなければC-HRも出てこないし、好き嫌いの分析もない。

NAVIという一時代を作ったタイトルを借りつつ、とにかく皆一緒になってクルマを楽しもうという、よく言えばポジティブ、そうでなければ脳天期なハッピー指向だけで作られた、まるで豪華なサークル本のよう。

このNAVICARS、前号も「クルマ雑誌は死なない」なんて刺激的な特集を掲げ、しかし中身は心酔する元VAVI編集長をはじめ、ほぼ全員が業界関係者による「クルマ雑誌大好き」インタビューで構成するという暴挙をやっている。

自動車雑誌の生き死にを語るとき、当然いちばんに意識しなくちゃいけない読者(ユーザー)目線を完全に無視し、もちろん社会的な背景もすっ飛ばした、内輪だけによるハッピー光線全開の記事だ。

今号もそうだけど、それこそNAVIで育った僕のような人間には余りに稚拙で物足りないし、かといって昔を振り返ってばかりの記事が若者に受けるとも思えない。だとしたら、一体どんな層に向けて、何を訴えようとしているんだろう?

中身は?だけどNAVIみたいな表紙で、NAVIで活躍していたカメラマンの写真にNAVIで描いていたイラストレーターのカット。NAVIみたいな対談に、NAVIで見たようなコラム、そしてNAVIみたいな編集後記。

一時代を作った冊子の功績を想うと、これほど辛い雑誌はないんである。

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雑誌ナナメ読み:プロフェッショナルな記事とは?

『月刊自家用車』の先月号。Boox_mt4910052271265_2

特集「最新モデル・ジャーナリスト30人の採点簿」は、短評ながらたくさんの評論家の意見を一度に目にすることができ、僕にとっては何ともお得な記事なんである。

で、冒頭のインプレッサは、新しいプラットホームのおかげで一様に評価が高かった。

95点と、ほぼ満点とした鈴木直也氏と藤島知子両氏がまさにそれで、先代から大きく進化したというシャシーを絶賛している。これはもう欧州Cセグを凌駕するんじゃないかとベタ褒めな感じだ。

一方で、65点と及第点を少し割る評価とした中谷明彦氏は、動力性能の不足を訴える。ボディがいい分、モアパワーという注文だ。そして、75点の御堀直嗣氏は、新しいエンジンの展望が示されていないと苦言を呈している。

いまのスバル車を眺めれば、変わり映えしないスタイルや、新提案のないエンジンとミッションに目が行くのはむしろ自然。どちらかと言えば、これを抜きにして満点を与えるのはチョットなあ、と思う。

ところで、78点の桂伸一氏は、現状プロトタイプ、かつクローズドコースでの試乗では本来の採点はできないとした。とりわけ「走り」をメインに評する場合、これはひとつの見識かと思う。

新型セレナでは、60点が3人もいた。

松下宏氏は、例のプロパイロットに対する日産の姿勢に疑問を投げかける直球評だ。同じ話を取り上げたのは他に数人いるけれど、60点に止めたのは松下氏だけ。また、河村康彦氏はノイズの多さや曖昧なステアリング、低い動力性能と、クルマの出来そのものを突いている。

一方、92点の岡本幸一郎氏は、プロパイロットもクルマの出来も気になるところはあるけれど、なぜかそれは問題ないとまとめる。98点のまるも亜希子氏は、とにかく室内の使い勝手のみ語っていて、それはもうほぼ満点だと。同氏は同じ理由からホンダのフリードにも95点を付けたけど、インプレッサではなぜか走りに言及して、やっぱり高得点になっている。

セレナの基本性能に最新のクルマとして明確な難があるなら、そこに言及しない人が多いのはどうしてなんだろう。僕みたいにデザインだのコンセプトだのじゃなく、「クルマは走ってナンボ」という方々がほとんどだから、そんな初歩的な部分を突かないのは不思議というしかない。

同じクルマの短評を一度にたくさん見られるのはやっぱり面白いなあと思う。ごく真っ当に評するべき点を語る人もいれば、とにかく高得点に着地することを優先しているような人もいる。対象を俯瞰する人もいれば、目前のことに止まる人もいる。

多くの評論家がいるんだから人それぞれの面があって当然なんだけど、しかしそれでも全員がプロであることは肝心なところだ。

どういう切り口であれ、それがプロフェッショナルな内容であるあるか否か。その境界線を意識するかしないかなのかもしれない。プロフェッショナルとは、NHKの番組に出てくる特別な人を指すわけじゃないので。

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雑誌ナナメ読み:自動運転と呼ばないで

Photo一体、この責任の欠落感はどうしたことだろう。

いま売りの『カートップ』の記事「自動運転がもたらす功罪」では、編集長と評論家2氏が話題の運転支援技術について語っている。

ご想像のとおり、例のテスラ車の事故などを受けての企画なんだけど、これがちょっと面白い展開だ。

冷静沈着な中谷明彦氏が、欧州勢を含め各社の自動運転に向けた取り組みに「一定の可能性を感じる」と比較的肯定的なのに対し、毎度技術至上の直線的思考を展開する国沢光宏氏が、今回は意外にも否定的なんである。

そもそも、「自動運転」などという胡散臭い言葉に違和感を抱く僕としては、普及には技術のほかに倫理観や宗教観までもが課題になり、現実的には当面無理だとする国沢氏の意見に珍しく賛成だ。

もちろん、技術発展の可能性を語る中谷氏の真意も理解はできるけれど、ことこの件については机上(誌上)での理想論はあまりにキケンで。

国交省規定のレベル2だろうがメルセデスベンツが先行しようが、現行技術はあくまでも運転支援の筈。ドライバーのミスや疲労、あるいは疾患などを補完するアシストなんであって、まずはそこを周知徹底するのが先決だろう。

何となれば、新型セレナという多量販車が、その「自動運転」という言葉を実際に使ってしまっているんである。それどころか、そのTVCFでは永ちゃんがステエアリングから手を離すシーンまでを映し、もう「やっちゃえ日産」全開モードと来ている。

実は、先日の同車発表会では、記者席から「自動運転という言葉を使うのは拙速ではないか」という質問があった。これに対する女性専務の回答は「自動運転とは言ってない。自答運転技術です」という、間違いではないけれど、ある種責任回避的なものだったんである。

件のテスラの事故について言えば、これが結構な話題になったのは、裏を返すと、多くのユーザーが「事故は起きない筈なのに」と認識していたからではないか?

たとえば、リーフが出れば「これからは環境に優しいEVが主流だ」とし、ミライが発表されれば「いよいよ真打ち誕生」と盛り上がる。日経方面のそうした技術至上的な報道は、”平和より株価”のアベノミクスニッポンには想像以上に簡単に浸透してしまう。

そんな無防備なユーザーに「自動運転」なんて言葉を使えば、クルマが勝手に運転してくれると本気で思っちゃうわけで、そこに手放しシーンなんかを見せたらもう完全にアウトだ。東京五輪あたりにはもう運転不要!なんて話さえワケもなく通じるだろう。

あのスバルのアイサイトでさえ「ぶつからないクルマ」という表現は、どんな状態でも絶対に事故を起こさないという誤解を与えかねなかった。それでもギリギリセーフだったのは、あくまでも障害物の前で止まるという限定的な技術だったからだろう。

国沢氏以外でも、小沢コージ氏などがこの件について警鐘を鳴らしているけれど、だからその他大勢の評論家諸氏か声がほとんど聞かれないのが理解できない。セレナの記事にしたって「プロパイロットなんていうわりには期待はずれだネ」的な方向の残念なコメントに止まっている。

たとえば燃費不正が拭えない問題だというなら、こっちの話はある意味もっと重要な案件だと僕は思う。単に法や規則に反している云々の問題じゃなくて。

カートップの記事は興味深いけれど、実は自動車ジャーナリスト協会あたりがきちんと意見をまとめて声明なり技術解説を行うべき事項じゃないのか? べつに技術を全否定するのではなく、冷静かつ正確に理解してもらうだけの話なんだし。

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雑誌ナナメ読み:遠慮な記事

Photoいいこと書いているのに惜しいな、と思うんである。

いま売りの『ドライバー』誌の特集、「日本車×輸入車・買うべきランキング」。カテゴリー別に、注目の日本車と輸入車の比較しようという記事。

で、中身を読んでみれば何のことはない、マイナーチェンジしたアクセラや、プレビュー済みの新型インプレッサあたりを組み込むための企画っぽいな、と。

だから、タイトルのような内外ガッツリ比較記事はほとんど見当たらず、カテゴリー内の数車がそれぞれ個別にチャート評価されていて、肩すかしというか、何とも物足りない感じだ。

ただ、それぞれのカテゴリーのまとめ部分には、若干だけど”ちゃんとした”表現も見られるんである。

たとえばBセグメント。VWポロやアウディA1、プジョー208やルノー・ルーテシアのクオリティ、あるいは意欲的なパワーユニットの前に「国産車は大丈夫か?」と指摘している。

Dセグメントでは、押され気味の国産勢に「走りだけでなく、騒音、振動のレベルが未熟」と苦言する。レクサスなど、いまや結構な価格となった日本車では、単に「コストの差」とも言えないだろうと。

もちろん、同時に国産勢の優位性もしっかり挙げられているんだけど、どちらにしても、こういう肝心なところを「まとめ」の中でサラッと触れるだけではあまりにもったいない。

ポロやA1に比べて、ヴィッツやノートのクオリティやパワーユニットに魅力が足りないのであれば、価格差の内容を含めた考え方の違いを掘り起こし、本来あるべき国産車像を具体的に語るような比較記事を組むべきだろう。

逆に、Cセグメントでは、異論があろうとも総合力でプリウスがいちばんだと判断するなら、それはライバルが持つ各々の魅力をどう凌いでいるのかをしっかり書くべき。

いや、「そうするべき」と言うよりも、そうした方が結局は面白い記事になるということだ。ガッツリ対決のような導入なのに個別評価という分かりにくさの解消はもちろん、読者の満足度を得るトータルでの面白さへもつながると。

まあ、この企画が100%提灯記事だったらそれはそれで仕方ないのだけど、一部とはいえ良心的な表現があるだけに惜しかった。

細かい話だけど、その辺の小さな踏ん切り具合が、実はいい雑誌への入口だったりすると思うんである。

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雑誌ナナメ読み:過去は振り返りません?

190eなかなか難しいんだなあ、と思ったんである。

復刊した「モーターファン」の第2号、金子浩久氏のコラム『ニホンシャのあともうひと押し!』が興味深い。

話は、おそらくメルセデス・ベンツのヤングクラシック・リフレッシュプログラムと思われる例を出し、日本のメーカーも自社のクラシックカーを復元する部門を設けるべきだというもの。旧車イベントが全国で活況であることを受けての提案だ。

同プログラムは、劣化した愛車を持ち込めば、予算に応じてメーカー自身がレストアを行うもので、ドイツ本国に引き続き日本にも導入されている。レストア自体は珍しくないけれど、メーカー基準で行うという点が肝だ。

こうした制度は、自車オーナーを大切にする面と同時に、その姿勢自体がメーカーの評価を上げ、新車販売も含めた経営全般にいい結果をもたらす意図もあるかと。

けれども、金子氏からこの提案を聞いた国産メーカーの開発者が、想像以上に無関心、無理解であったことをこの記事では嘆いている。「1000万、2000万円も出して修復するようなクルマはそもそも売っていない」「そんなことをしたら新車が売れなくなる」といった。

数年前、実は僕も似たような提案を雑誌に書いたことがある。僕の場合は愛車の持ち込みレストアではなく、メーカーが新車同様に復元した中古車を「リフレッシュカー」として販売してはどうかというもの。とくに日常使いに苦のない80年代車以降であれば、新車と同じくらいの価格でも買う人は少なくないだろうと。

けれども、この提案に対してもメーカーの反応は先と同様「新車販売に影響がある」で、同時に中古車販売への関心がそもそも恐ろしく低く、とにかく新車しか興味がないといった感じだった。

博物館を作ったりオーナーイベントに参加したり、クルマ文化を作り出すような格好はするけれど、この手の話になると意外に関心や理解が足りないことが露呈してしまうんである。

もちろん、欧州のプレミアムメーカーに比べれば、日本車は薄利多売の傾向が強く、あまりのモデルの多さに文化も何もないような気配はある。ただ、そうであっても数十年前の旧車を大切にしているオーナーはいるし、2000万円はともかく、新車価格の150万、200万円ならレストアも十分現実的だとするオーナーも少なくないと思う。

金子氏の提案は、いまならさしずめマツダあたりが手を挙げるか?なんて感じだけど、もちろん車種数はトヨタや日産が圧倒的。「ワオ!」な新車や熱心なグローバル化もいいけれど、自社商品の歴史的価値に自ら光を当てることも忘れちゃいけない。

サラリーマンをやっていると、自分の会社の事業に対しては、かえって外部にこそ熱を持った人がいると思わされることが結構ある。まあ、会社は給料をもらえればいい、決まったことだけやっておこう的な発想は珍しくないし、逆に一生懸命に過ぎて視野が狭くなることもある。

今回の提案は、10年10万キロストーリーを書いた金子氏ならではのものだけど、だから、それを引き受けられるのは現場よりも、むしろトップの方なのかもしれない。トップがクルマ好きかどうか? いや、クルマをどれだけ幅広い視点で見ているかという点で。

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雑誌ナナメ読み:老舗の役割って?

Cgいつからこんな具合になってしまったんだろう?

いま売りの雑誌『CG』。「本当の燃費」という特集は、三菱やスズキの不正問題を機にしたそう。いくつかのグループに分け、数台の内外現行車種の実燃費を計ってみようというものなんだけど、これが何とも中途半端なんである。

そもそも、仮にJC08モードに対する実燃費の剥離なんて視点であれば、何をいまさらという話だ。そんなものは三菱などの話がなくたって「突っ込み」が必須であるのは、CGという雑誌の性格を考えればずっと以前からの懸案だろう。

で、軽自動車3台の比較では、これまたいまさら「高速はエンジン負担が大きく走るのが苦」、背高ワゴン2台では「高速でフラフラする」などと報告している。テーマは燃費だけど、そんなクルマが最新車として売られているのなら、燃費以前の問題としてしっかり指摘しなくちゃいけない。

また、トヨタのHV車3台の比較では、クラウンやシエンタなどでクルマの出来に差があるとしても、燃費自体は納得できるだろうと結論する。たしかにHVらしく絶対値は悪くないけど、しかし、それは相変わらずモード燃費の7割程度のもの。それを簡単に「納得」などと言うなら、そもそもこの特集は何だという話だ。

さらに、後半に取り上げたのはフェラーリ、ロールスロイス、ベントレー、キャデラックと、なぜか高級車のオンパレード。しかも、燃費への言及は少なく「やっぱりこのクルマは素晴らしい」などと書いているから、もうワケがわからない。

そして、特集はこの高級車インプレッションでもってプッツリ終わる。きっかけとなった不正問題を独自に振り返ることもなく、あるいは試乗結果を分析するでもなく、だ。

最近、CG誌の特集意図が不明瞭だったり、あるいは高級スポーツカー、スーパーカー偏重になっているのは気になっていたけれど、今号のそれもかなり酷い。

僕は特段この雑誌に恨みはないけれど、こういう疑問を強く持つのは、やっぱり「自動車版の暮らしの手帖」を標榜した冊子であったからで、僕もそこに大いに賛同していたんである。

朝ドラの「とと姉ちゃん」は誇張気味としても、暮らしの手帖が高い志をもって創刊、多くの読者に支持されてきたのは事実だ。そしてCG誌もまた、クルマの情報が少ない時代に期待される客観的事実を伝えてきた。

時代が進み、情報が氾濫する現代であれば、老舗であっても扱う内容はアップデートされて当然だろう。あらゆる世界の”老舗”はこの課題にぶつかるわけだけど、成功例で共通するのは、やっぱり当初の基本理念に立ち返ることを忘れなかった場合がほとんどなんである。

逆に言えば、ブレがなければ新しいものを扱っても単なる一過性の流行に陥らないと。

単に実燃費数値を並べるのであれば、いまどきどの雑誌でもやっている。じゃあ2016年のいま、本当にユーザーの役に立つ情報とはいったい何なのか。

モード燃費と剥離する理由を整理し、所管官庁へ意見を示すのはもちろん、メーカー側の姿勢を正すくらいは当然。もし、燃費優先で他の性能が犠牲になっている例があれば、徹底的に読者へ示すのも必要だろう。

また、新しく導入される国際基準については、その正当性を検証することも特段難しくはない。同時に、欧州など自動車先進国の取り組みを紹介するのだって有意義だし、読者にとっての有益な情報を考えればやることはいくらでもある筈で。

いや、二玄社を離れたCGはかつてのCGとはまったく違う、いまや老舗という認識はなく勝手に期待されても困る、ということなら仕方がないんだけど。

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雑誌ナナメ読み:辛口は難しい?

2015悪くはないけど、同時に残念な感じもある。

少し前の『ベストカー』誌での小特集。「その評価本当に正しいの!?」は、最近のインプレッション記事はやたら褒めちぎる記事が多すぎる、という読者からの指摘を受けたものだとか。たぶん、新型プリウスあたりの話じゃないかとは思うけど。

これについての著名評論家3人の対談は、ある種本音のようなことも書かれていてなかなか興味深いんだけど、一方で突っ込みどころもあったりする。たとえば、

「いまの時代、欠点をあげる記事が求められているのか? 辛口スタイルで成功したのは徳大寺さんくらいだし・・・」

欠点の指摘は求められているか否かで決めるものじゃないし、そもそも「辛口スタイル」という捉え方からしておかしい。つまり、ベタ褒めじゃなければ辛口などという両極端な発想自体が間違いなんである。

当然のことだけど、評論はフラットであるべき。よいところは褒めればいいし、そうじゃない部分は淡々と指摘すればいい。どちらかに偏る必要はどこにもない。そういう意味で、徳大寺氏は「辛口スタイル」なんかじゃなかったと僕は思っている。

「言い放しはよくない。自分は試乗会でおかしいと思ったことは開発陣に伝えている。許せないのはコストのせいにする開発者だね・・・」

いやいや、開発陣に言うよりも記事にしなくちゃ。意見を公にしなければそれこそ言い放しでお蔵入りになってしまうしね。もちろん、許せないことがあるならそれこそをユーザーに伝えるのが仕事でしょう?

後半の評論家諸氏による「実はここがおかしい」記事はいささか取って付けたようなもので、まあ今回の特集として支障のない範囲で”異論”を書いた感じだ。

ただ、仮に一回限りの思いつき企画であっても、こういう記事が載ることはもちろん悪いことじゃない。だって、それすらやらない媒体もあるわけだし。

けれども、同時にこの特集でわかったのは、著名な方々であっても現場はこの程度の認識なの?という事実だ。辛口は求められているのか、批判は覚悟や勉強が必要、編集部の意向もある等々、これはいったい何十年前の話なんだという。

流れの中での思いつき企画であっても、そういう実状が垣間見れたのは興味深いし面白い。仮にそれが残念な場面であったとしても。

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雑誌ナナメ読み:新型プリウス絶好調!

Photo新しいプリウスの記事がなかなか残念なんである。

クルマ各誌で展開される新型プリウスの記事、これが一様に絶賛な感じだ。もちろん、誉め称えるべきクルマが出てくるのは歓迎だけど、あまりのハシゃぎぶりには少々違和感もあったりする。

まずは何と言ってもお約束の「先代潰し」だ。新型のよさを強調するには、先代がいかにダメだったかを掘り返すのがもっとも効果的。何しろその時点ではもはや過去の商品、そこそこのことを書いても許されるし、その分新型を誉めちぎるんだから問題なしと。

今回はこの”手法”がことさら多い。あるB5判誌での評論家氏は「加速とエンジン回転が合ってなかった」「燃費はよいがシャシーがプアだった」「トヨタのFF車の欠点は乗り心地の質感」「プリウスの欠点として指摘されてきたブレーキフィール」と、たったひとつの記事で4点もの潰しネタを披露している。

評論家による「正直に言えば」なんて表現は、読者=ユーザーを大きく裏切り、バカにしたものなんだけど、果たしてそういう自覚があるのか否か。いや、もしかしたら、それこそが自分の仕事だと信じているのかもしれないけれど。

で、絶賛の要であるTNGA。そのポテンシャルはともかく、ことプリウスについては疑問もある。

相当な低重心が走りの質を大きく向上させたという話なんだけど、じゃあその向上とやらは他メーカーの同クラス車をブッチ切るようなものなのか。もう日本車のレベルをドーンと底上げしちゃったのだろうか。

たとえば、トヨタが「ベンチマークはゴルフ」としたことを受けた比較記事では、燃費は圧倒、でも堅牢なボディと走りの質感はあと一歩なんて記事もあったりする。え、こっちの方が新しいのに追いついてない? じゃあ、一連の絶賛記事はいったい?と思うわけである。

そもそも低重心ってそんなにスゴイのかというあたりも疑問だ。もちろん、高いより低い方が有利な面があるのはわかるけど、技術が成熟したいま、それだけで走りのクオリティが決まるわけじゃないでしょう?

いや、実際そんなことはないんだろうけど、つまりは「これはTNGAだからスゴイ」「低重心だからいい」という単純なモノ言い、記事はいかがなものかと。誉めるのはいいけど、もっと冷静に落ち着いた方がいいんじゃないか。

ほら、大騒ぎのわりにほとんど変わっていないHVシステムなど動力性能、一部残したニッケル電池への突っ込みが足りない件はどうなんだと。

ま、今回はTNGAで走りがドーンとよくなったんだから、そこはほら、まあネエ・・・という姿勢は、先代までの「燃費がいいんだから、走りはホラねえ」というのと同じ発想じゃないか。もう言ってるそばから、性懲りもなくまたまた同じことを繰り返してるんじゃ?

あ、ちなみにスタイリングについての記事はあの「顔」が話題の中心だけど、個人的には今回のスタイルの問題は顔じゃなく、ボディ全体の話だと思うんだけど。

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雑誌ナナメ読み:専門誌は敷居が高い?

Sportsrideconcept見ている次元が違うんだろうな、とは思うけれど。

雑誌『カースタイリング』が行っている日本カーデザイン大賞の選出。2015ー2016の今回は、量産車部門がマツダ・CX-3、コンセプトカー部門がヤマハ・スポーツライドコンセプトとなった。

CX-3は、好調マツダが「デザインを先に考えた」というくらいの入魂作。ベースになったデミオが、テーマを消化し切れずズングリと残念な感じになってしまったのに対し、その”失敗”を覆い隠すかのような仕上がりなんである。

なんだけど、個人的に気になったのは、誌面上の対談でのトヨタ・シエンタとスズキ・アルトの扱い。

シエンタは取り上げるべきクルマとして結構な字数で語られたけれど、最終的にはあくまでも営業的視点からの偶然の成功例と切り捨てられた。さらに、アルトについては「どこがいいの?」で終わりだ。

いや、べつにここでシエンタやアルトの応援をしようって話じゃない。何て言うか、そういうことになってしまう空気に違和感を持ってしまったんである。

一方、コンセプトカー部門はほぼマツダのRX-ビジョンをどう見るかが誌上で展開され、これはゴールデンクレイ賞に持って行くこととして、大賞にはヤマハが推された。

こっちで気になったのは、スポーツライドコンセプトのどこがどういいのか、具体的な話がほとんどなかったこと。ゴードンマーレー社提唱のボディ構造や、四輪進出による新たな可能性など、どちらかと言えばその存在自体が評価されたようにも見えた。

いや、これまたヤマハにケチをつけようって話じゃない。ただ、スポーツカー的王道まっしぐらのボディのどこが評価点なのか、そこは語らずのままの進行に違和感があったと。

言い方は難しいけれど、たとえば多くの自動車評論家、あるいは雑誌メディアが「スポーツカー大好き」なのと、これはどこか似たものを感じるんである。

審査メンバーは、当たり前だけどデザイン誌に登場するべき経歴の持ち主で、元メーカーのデザイナーにしてもジャーナリストにしても、まあデザインのプロに間違いはない。これまで数え切れない程のカーデザインを見聞きし、あるいは評価してきた専門家だ。

だから、きっと見ているレベル、次元が、たとえば僕のような素人感覚のライターなどとは比較にならないんだろうと思う。もう、スタート地点からして違うと。

けれども、そのスタート地点のかさ上げ部分には、どこかある種のスマートさ、スタイリッシュさ、もしくはスポーティさなど、「デザイナーあるある」な世界を前提とするバイアスを感じてしまうんである。

シエンタがマーケットイン的なイメージを与えるとか、あるいはアルトがベーシックで質素な軽だとか、それ自体はデザインの評価と何ら関係ないわけだけど、いわば「通」の最上格たる専門家としては、そのあたりの認識が違うんじゃないか?

だからといって「ユーザー目線のデザイン論」なんてものもないわけで、結局求められるのはバランス感覚なのかもしれない。プロ・業界的にはこっちでしょうとか、これは見なくていいよね、なんてお約束や風潮があるとしたら、そんなものはいらないと今回は感じたんである。

まあ、中途半端にデザイン好きなお前の考えすぎだと言われれば、たしかにそのとおりなんだけれど。

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雑誌ナナメ読み:東京ショーは熱かった?

Img_1990 何かこう、見方が短絡的になっているんじゃないか。

 東京ショーが終わり、各自動車メディアでは振り返りの記事が掲出されている。取り上げ方はいろいろあれど、しかし内容はどれも似たようなものだ。

 たとえばいま手元にある『NAVI CARS』もそうで、今回のショーはマツダのRX-VISIONとトヨタのS-FRに代表されるスポーツカーの復権、そして日産IDXコンセプトなどの自動運転が主役で、そこにトレンドが見えたと。

 たしかに、今回の目玉なんて話ではそんなまとめになるんだろう。WBSや報道ステーションなど、TVメディアでは自動運転など嬉しくて仕方がない素材だったようだし。

 一方で、来場者が一割減だの、若者のクルマ離れだの、あるいは国際ショーとして東京はどうなんだなんて話もあるんだけれど、これまた同じくスポーツカーが特徴的だっただの結構な熱が感じられただの、正体不明な楽観論があちこちで見られる。

 で、そんな中、今回のショーで言えば、個人的にはスズキのブースにいちばんの可能性を感じたんである。

 まず、純粋なコンセプトカーのマイティデッキとエアトライサーでキッチリ新しい提案を見せ、その出来もよかった。さらに、近日発売予定のイグニスでは特別仕様をコンセプトカー扱いにしつつ、市販版もしっかり数台を用意した。そして、こちらもまたいい出来。

 さらに、アルトではワークス、ハスラーでは仕様変更版として新色ボディを並べた。つまり既存車でも見るべき展示車をちゃんと用意し、結果、実に地に足の着いたブースになっていたんである。

 考えてみれば、そもそもモーターショーはコンセプトカーだけじゃなく、既存ラインナップもしっかり揃えて自社の取り組みを見せる催しだった筈。

 実際、ユーザーからしてみれば、未来のコンセプトカーも見たいけれど、いま売っているクルマを一度にまとめて触れることのできる貴重な機会なんである。もちろん、それが近日登場の最新仕様だったりすればなお嬉しい。

 大規模な海外のショーにしたって基本はそのパターンで、どちらかと言えば純粋なコンセプトカーは”展示の一部”といった扱いだろう。いや、東京ショーだって外国メーカーはそれに近い展示になっている。

 そんなもので見応えのあるショーになるのか?と聞かれれば、現行ラインナップがどれも魅力的であれば十分可能だと答えたい。いや、結局話はそこに行き着くと。

 だから、セールス優先の退屈なラインナップを敷いておいて、ショーの時だけ未来チックなコンセプトカーを並べたところで、それをわざわざ見に行こうなんて思うのはなかなかに濃いファンばかり。それじゃあ、大きな単位での来場者数増は到底望めない。

 で、成熟国家としてむやみな右肩上がりはもうあり得ないと同時に、いま検討されている燃費別新税をはじめとした重課税に高額な高速通行料、車検費用、駐車場代等々、クルマを持つ環境をこれだけ悪くしておいて、いまさら「クルマ離れ」もなかろうという話も同時にある。

 メディア、ジャーナリストという視点から考えれば、いい加減その辺から言及を深めないと根本的な解決には向かないだろう。少なくとも、ショー会場でガイドツアーをすればいいってもんじゃないし。

 クルマを買って乗りやすい環境、しっかり作り込まれた魅力的な市販車、集大成としてのモーターショー。これらがグルリと回ってこそ業界の活性化があるんじゃないか。そういうことなくして、ショーだけポッと盛り上がるなんて魔法はないんじゃないか。

 そうであるなら、メディアがやるべきことは安易な現状追認ばかりじゃなく、至極当たり前のジャーナリズムを徹底して貫きとおすしかないんである。

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