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クルマの他:ゴールデンウィーク・邦画2連発

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 ゴールデンウィークということで、久々に「クルマの他」を。せっかくの連休なので肩の凝らない映画でもと、家人と邦画をハシゴして来ました。

 「HOME」は、脚本の金子成人以外、ドラマ「相棒」スタッフによるハートフルストーリー。とにかく前評判がよくなかったワケですが、たぶん極めてベタな設定と予定調和なストーリーのせいかと。

 でも、個人的にはよかったです。たしかに安易と言ってしまえばそれまでですが、気持ちのいい話を気持ちのいいまま完結できたのはたしかで、それは偶然にはできないかと。少なくとも、和泉氏のメガホンとしては、本家「相棒」の劇場版2本よりまとまりがよかったと思います。

 これは原作モノですけど、いま東北の美しい風景と寓話で一本映画を作りたい、というシンプルな想いで作ったとしても、まあそれはそれでいいじゃないかと思えました。

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 それに比べて前評判のよかった「テルマエ・ロマエ」は惜しかった。序盤のタイムスリープ攻勢は、まあ元々原作が飛び抜けて面白かったんでしょうが、ここは「のだめカンタービレ」の監督らしいテンポのよさが光っていました。

 そういう部分的な面白さはいっぱいあったんですけど、オリジナル部分も含めた後半がタルんでしまいました。仮に話をローマの戦まで広げるにしても、ストーリーはもっと身近なキャラクターを十分生かした方がよかったんじゃないかと。

 ところで、最近ある講演会で、巷に溢れる「クチコミ」なるものに惑わされてはいけないというような話を聞いたのですが、今日はそれを実感しましたね。10人中9人がNGでも、自分ひとりがOKなら、それは「面白い」んだという当たり前のことを。

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Drive My Car:再入院とタイヤ交換

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 愛車ジェミニが、またしても入・退院しました。

 症状は持病のエンジン・オイル漏れ。前回のオイル交換時に見つかって、一旦オイルパン周りの修理をしたんですけれど、今回のオイル交換で直っていないことが判明したわけです。

 早速行きつけの工場で診てもらうと、どうもターボから出ているゴム配管が怪しいということに。ただ、エンジンルーム上部からわずかにしか見えない実に難儀な箇所で、もしかするとタービンを外すことになるとか。しかも、タービンハウジングが劣化していて、外したら元に戻らないかもしれない。その場合は丸ごと交換になるとも・・・。

 ああ、ついに来たかと。何せもう27万キロ、いつタービンがダメになってもおかしくないな、と思っていましたので。ただ、運よくリビルド品がひとつ見つかり、パーツ代は半額程度になるという話もあって、じゃあということで作業をお願いしました。

 で、結論から言うと、その「ターボ・リターンホース」はラジエター関係の脱着だけで交換できたらしく、タービンの交換も必要なくなりました。もちろん、その分作業代もお安く。

 ただ、こっちもそろそろと思っていたタイヤが「もうイケマセン」ということで交換となりました。

 前にも書きましたが、近所にある「タイヤ館」の対応がとてもいいので、このところずっとブリジストンを履いていました。ところが、最近の新しい商品にジェミニの純正サイズがなく、どうしたものかと思案しているうちにスリップサインが出てしまった次第です。

 もちろん、ほかのメーカーでもあまり設定されてないのですが、少ない選択肢から、今回はグッドイヤーの新製品、イーグルLS・EXEを選択。これは「エコタイヤにも走りを」というふれこみで、転がり特性「A」にウェット「b」という、低燃費だけどグリップや静粛性もそこそこのコンフォートタイヤです。

 ま、イルムシャーなんか乗っているわりに運転はおとなしい自分にはピッタリかなと。実際走ってみると、低燃費タイヤらしい硬さが若干あるものの、キレもいいし、ロードノイズも気になりません。ま、新品なので当然ですけど。

 工場からの出庫時、フロント氏から「そろそろ普段使いも難しくなってきましたねー」とのお言葉。あ、やっぱりそうなんだ。しかし、普段の脚といってもほかに欲しいクルマがないしなあ。旧車ならあるけど、それじゃ意味ないし。

 いやあ、困ったものです。

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新車心象風景:レクサスRX(マイナーチェンジ)

Rx

 前回の続きになってしまうけれど、今度はレクサスの話。

 よほどのクルマ好き以外にその意図が伝わるか否かはともかく、GS同様、TVCFの冒頭にスポットが当たるのが例のスピンドル・グリルだ。

 この紡錘形のグリルがいいとか悪いとかについては、当然いろいろな意見があるかと思うけれど、たぶん問題はそういうことじゃない。

 たしかにクルマにとってフロントグリルは重要な部分ではあるけれど、それでもクルマの一部分に過ぎないことも事実なんである。それをことさら取り上げて騒ぐのはあまりに滑稽ってもんじゃないか。

 そんなことはない、アウディだってシングルフレームを大々的に打ち出したじゃないか、なんて意見もありそうだけど、あっちとは状況が違う。

 アウディの場合、それまで時間をかけて育ててきたグリルの、ひとつの到達点としての造形があれだったんである。シンプルな逆台形から上下分割での表現、そしてその両者の融合としてのシングルという。

 いや、唐突ということでは、たとえばインフィニティの凹形グリルも実は同じだったりする。ただ、あの掟破りなカタチの是非はともかく、レクサスと違うのは、そればかりを前面に出すようなことをしていない点だ。

 いまさら言うことでもないけれど、クルマのデザインはあくまでもクルマ全体で表現するものであって、だからこそプロポーションの重要性が説かれたりもするんである。

 ところが、前回にも書いたように、近年のトヨタは数理面だの精鋭だのと細部ばかりに興味を示し、ユーザーにその理解を強いるようなことをやって失敗を招いてしまった。本来は、RXというクルマ全体で何をどう示すか、なんだけど。

 もちろん、マイナーチェンジのRXはもとより、オールニューにもかかわらずグリルばかりをウリにする、いや、しなくてはいけないGSも含めれば、実は結構深刻な状況だと僕は思う。

 ちなみに、そのスピンドル・グリル自体の感想だけど、これも前から書いているとおりどうもしっくり来ない。逆台形の一般的なグリルに、流行のハの字形バンパーが組み合わさっただけのそれに特段新しさは感じないし、これがフロントフェイスにべったり張り付く様に美しさも感じない。

 RXについて言えば、もともと感じていた前後のいまひとつな不安定さを、取って付けたスピンドルが後押ししているとしか思えなかったりする。

 かつて、独自性と均整感を両立していた初代ハリアーを思い出すと、この15年は一体何だったんだろうと思う。もちろん、ハイブリッドを含めたハードの進化は少なくなかったんだろうけど、じゃあ日本車っていうのはいまだにそういうことだけなのか?

 隅々まで目を配り、美しさと繊細さにあふれる新しいTVCFは、まさに映像版のLーフィネスと言えるだろう出来映えなんだけれど。

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クルマ散策:トヨタデザインが変わる?

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 「トヨタは今後デザインを最優先する」という内容のニュースが少し前にあった。

 そう聞くと、まるでいままでデザインのことなんていちばんの後回しになっていたように聞こえるけれど、まあそうは思えないんである。

 だとしたら、このニュースは一体何だろう?

 かつて80点主義と言われていたトヨタだけど、たとえば比較的近年の80~90年代だけを見てみても、シェア2位の日産を大きく引き離した理由の中には、多くのユーザーに「適度な先進感」を与える巧みなデザイン攻勢があったと僕は思っている。

 たとえば当時のターセル・コルサやカローラ、マークⅡ、クラウン、アリストといった王道セダン・ハッチはもとより、初代エスティマやイプサム、セラ、MR2といった変化球まで、実にまとまりのいいスタイリングを得て、内外装とも残念な企画を連発する当時のライバルを蹴落としたと。

 ただし、そのデザインに関してことさら特別なアピールはしていなかったし、「あれこれ」理屈をこね回すこともなかった。もしかしたら、それが80点主義と言われてしまう理由のひとつになっていたかもしれない、と思えるくらいに。

 おかしくなったのは、その理屈を正面切って口にするようになってからだ。ここでも何度か書いているとおり、トヨタ・ブランドなら「バイ・ブラント・クラリティ」、レクサスなら「Lーフィネス」などと、なんだか高尚なネーミングを掲げてからは、とくに迷宮の世界が深まった。

 つまり、これからトヨタはデザインに力を入れます、と宣言してからおかしくなったんである。それは単に力を入れる方向を間違えただけとも言えるんだけど、とにかく理屈先行の造形を総動員したら、トヨタ車がみな妙チクリンな格好になってしまったと。

 ま、それはきっとトヨタ自身がいちばんわかっていたんだと思う。けれども「新しいデザイン言語は失敗でした」とは言えないので、いまさらながら「デザインを最優先します」なんてことを改めて言い出した感じだろう。ここ数年のことはなかったことにしたいなんて。

 一部雑誌で書かれているとおり、トヨタは先述の初代エスティマをまとめたデザイナーを子会社からトップに迎えたそうで、ほぼ同時に組織も変えることになったらしい。僕はその方がひとりであの初代を描き上げたかどうかを知らないので、その実力も知り得ないんだけど、わざわざ別会社から呼び戻したんだから、きっと相応の力はあるんだと思う。その本来の実力が商品として結実するのには数年かかるのだろうけど、とりあえず日本のトップメーカーとして是非頑張ってほしいとも。

 ただし、それにはまず妙に構えたおかしなデザイン言語を掲げるのは止めた方がいい。マツダ程のラインナップなら「塊動」もいいだろうけど、トヨタ規模では足かせになるだけだ。

 それともうひとつ。先述の車種を含め、ある時期までのトヨタ車の中には、少なからず外部のカロッツェリアに委託をした例があると言われているけれど、そういう柔軟さは今後も持つべきじゃないかと思う。

 そうじゃないと、仮に優秀なチーフを迎えたとしても、遠からず息切れしてしまうのは目に見えているからだ。

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クルマ散策:コペンは何かを残せたか?

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 この8月をもって生産終了となるコペン。雑誌では残念だとの話で取り上げられているけれど、僕もやっぱりそう思う。

 ただ、それはコペンそのものがなくなることより、「コペンのようなクルマ」がなくなることの寂しさなんである。

 バブル崩壊はとっくに過ぎていたとはいえ、いまみたいな慢性的不況とも違う10年前にコペンが発売されたのは、経済的に許された背景と同時に、責任者に明快な開発思想があったからなんだと思う。一説には180万円でも売るだけ損するなんて話があるけれど、そういう企画にゴーサインを出したのは、きっとタイミングのよさもあったんだろう。

 けれども、少なくとも商品レベルで見た場合、この10年間にそうした思想や資産が引き継がれ、しっかり生かされたかというと、それはかなり疑問であって、かつ残念なところだ。

 たしかに、ダイハツが先代ムーヴあたりから内外装の質感向上に目を向けたのは認めるし、それがライバルメーカーに影響を与えたのは評価されるところだろう。ただ、残念ながらその”向上”はコペンのそれとまったく次元が違ったんである。

 いや、何もエキスパートセンターの熟練工による手作業云々ということじゃなく、軽だのコンパクトだのという自らの”しばり”にとらわれず、クラスレスとも言えるもの作りにトライしたその発想の価値だ。

 もちろん、180万円は「軽」と考えれば高価だけれど、フツーに作ったいまどきのカスタムだって150万円もする。手作業と通常のラインの差がわずか30万円なのであれば、コペンによるノウハウとそのクオリティが、十分にフィードバックされたとは到底思えないじゃないか。

 それどころか、いまじゃ真逆とも言えるミラ・イースの作りが「まったく不足はない」なんて平気で評価されていたりする。そりゃあ、たしかにそこそこ安いけど。

 僕は最近VWのUP!のことをよく書くけれど、単純に言えば、ダイハツにはずっと前にUP!を作ることができた筈なんである。そういう技術もノウハウも、あるいは商売だって可能だったと。そんなことはほとんど継続されず、目先の安モノにあっけなく流れてしまうのは、さて一体どうしたことなんだろう?

 丸く愛らしい2シーターはクルマ好きのツボを・・・という話があるけれど、実のところ僕はコペンそれ自体にそれほど興味はない。スタイルだけで言えばビートの方がずっと好きだし。

 ただ、繰り返すけれどそのクラスレス感は本当に素晴らしい。軽は制約があるからこそ発展するというセリフをよく聞くけれど、こいつに限ってそれは当てはまらないと僕は思う。だからコペンと同時に「コペンのような」クルマがなくなるのは実に残念なんである。

 いや、もちろんこれが規格としても「軽しばり」じゃなく、1リッター・ターボなんかだったりしたらさらによかったのに、というような話が別にあったとしても、だ。

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新車心象風景:マツダ・CX-5

Cx5

 スカイアクティブってなんだろう? CX-5はそういうシンプルな疑問を感じさせるんである。

 個人的に「塊動」のエッセンスをそれほど感じないボディスタイルは、新しいモチーフを取り込んだフロントフェイスをはじめ、それでもライバルに比べれば相当アグレッシブだ。

 デミオやアクセラ同様、これならマツダブランドが浸透している欧州市場でも埋没しないだろうと思えるCX-5のウリは、しかし「フル・スカイアクティブ」初搭載ということになっている。

 エンジンやミッションに止まらず、シャシー設計まで含めるというその技術思想は、メカ音痴の僕でさえ、理屈としてなら一応は理解できるものだ。

 けれども、じゃあ製品、いや商品としてCX-5を見たときに、先のアグレッシブなボディ以外でユーザーへ的確に届くのは、少なくとも僕の感覚では、複雑な後処理装置を持たず、ガソリン車と大きな価格差を持たないクリーンディーゼルそれ自体の魅力だ。

 実際、目標の3倍近くという受注は、広島市のクリーンディーゼル補助金制度なんて分かりやすい支援もあってか、8割近くがディーゼルという、ちょっと信じ難い状況になっているみたいだし。もちろん、そもそもコンパクトSUVが好調の欧州でも、この画期的エンジンがヒット作の理由になることはほとんど間違いないとも思える。

 そもそも、デミオは”フル”じゃなかったけれど、リッター30キロといういまどきな燃費性能で売れたわけで、これも要は同じ話なんである。

 さらに、次期アテンザが待望されているのは、同じクリーンディーゼル搭載の可能性もさることながら、「塊動」を大きく反映したスタイリッシュなボディがその大きな理由であって、回生装置を搭載した第2ステップのスカイアクティブだから、とは思えなかったりする。

 そうであるなら、スカイアクティブというのは、ユーザーにとっては”燃費のいいエンジン”とほとんど同義となっているんじゃないかと。動的要素も盛り込んだシャシーや、ロックアップ機能を強化したミッションは取りあえず横に置いといて。

 いや、それがいけないとかおかしいとか、そうは思わない。わかりやすい部分だけでも理解されるのなら、それはそれでいいんじゃないかと思う。

 思い返せば、マツダというメーカーは結構な頻度で”刷新”をブチ上げてきた。ファミリアの頃の「剛性」や、ユーノスの「ときめき」など、ボディ設計や塗装技術、デザイン改革など、現在進行形の「ズーム・ズーム」に限らずに。

 効率追求のエンジンにしたって、ミラーサイクルやプレッシャーウェーブディーゼルなんて提案もあった。問題というか課題は、そういう刷新宣言がどうも継続しないことと、すべてがユーザーへ真っ直ぐ届かないことかもしれない。

 そういうわけで”フル”になったCX-5は、ユーザーにとってスカイアクティブとは?ということを、改めて考えさせてくれる貴重なクルマなんである。

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